ナボニドゥス
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ナボニドゥス(Nabonidus, 紀元前?年~紀元前539年)は新バビロニア最後の王。在位紀元前555年~紀元前539年。アラム系であると言われ、アッカド語では名前はナブー・ナイド(Nabû-nā'id)と表記される。
[編集] 来歴
相次いで王位が変わる新バビロニアの混乱状態を収めて新バビロニアの王座についた。特に勢力を増していた神官達に対抗するために神殿の人事に介入し、監督官を派遣してこれの統制を図った。また月の神シンを祭る神殿を多数建造したが、マルドゥクを主神とするバビロニア人の反応は悪かったようである。
紀元前553年にシリアへ遠征を行い、次いで紀元前552年(異説あり)アラビアのテイマへと遠征し、以後10年前後にわたってそこに残留した。この長期の滞在の理由には諸説あるが、同地からの税収を求めた経済的理由と、月神信仰に対するバビロニア人の反感による宗教的理由がよく挙げられる。
長期間本国を留守にしていたためその間の国内統治は皇太子ベルシャザルに一任された。ただしベルシャザルはバビロニア王を名乗る事は許されず、神殿への奉納はナボニドゥスの名で行われ、祭礼に関しても独断で行う権限を持たないなど、ナボニドゥスの影響力はかなりの程度確保された。
短命王が多い新バビロニアにあって、長期間の在位に成功した王であったが、この時期に急拡大を遂げていたアケメネス朝ペルシアとの戦いによって王座を追われる事になる。
アケメネス朝との戦いのうち最初の記録は紀元前548年にキュロス2世がアルベラ地方へ侵攻した事によって発生した。その後長期に渡って戦いが続いたが、紀元前539年9月、アケメネス朝の侵攻を受けオピスの戦いでナボニドゥスは敗北した。更に10月、シッパルが陥落するとナボニドゥスはバビロンへ逃れたが、配下であったウグバルの裏切り(異説あり)によって捕らえられたため、バビロンはペルシア軍に無血占領され新バビロニアは滅亡した。
その後彼はカルマニア(現:イラン領ケルマーン州)に追放され死去した。
[編集] 関連項目
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