ソフィア・コッリ=デュセック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クラシック音楽 |
---|
作曲家 |
ア-カ-サ-タ-ナ |
ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
音楽史 |
古代 - 中世 |
ルネサンス - バロック |
古典派 - ロマン派 |
近代 - 現代 |
楽器 |
鍵盤楽器 - 弦楽器 |
木管楽器 - 金管楽器 |
打楽器 - 声楽 |
一覧 |
作曲家 - 曲名 |
交響曲 - ピアノ協奏曲 |
ピアノソナタ |
ヴァイオリン協奏曲 |
ヴァイオリンソナタ |
弦楽四重奏曲 |
指揮者 - 演奏家 |
オーケストラ - 室内楽団 |
音楽理論/用語 |
音楽理論 - 演奏記号 |
演奏形態 |
器楽 - 声楽 |
宗教音楽 |
イベント |
音楽祭 |
メタ |
ポータル - プロジェクト |
カテゴリ |
ソフィア・コッリ=デュセック(Sophia Corri-Dussek, 1775年5月1日 エディンバラ - 1831年? ロンドン)は、スコットランド出身のイタリア系の音楽家(声楽家・ピアニスト・ハープ奏者・作曲家)。
1792年に、父親の事業のパートナーであったヤン・ラディスラフ・ドゥシークと結婚。存命中に自分の名前で作品を出版されたことはなかったが、プレイエルが「デュセック」と記した楽譜をパリで出版していることや、夫のパリでの名声から判断すると、《ハープ・ソナタ》(1797年)や《ハープのためのソナチネ》(1799年)のように、歴史的にドゥシークの創作とされてきた作品の中に、彼女の作品が混じっているのではないかと研究者から推定されるようになった。例えば《ソナタ ハ短調》は、1953年にニカノール・サバレタが判定を誤ってドゥシークの作品2-2として発表している。
ドゥシークが、債権者から逃れるためにコッリ親子を見棄ててイギリスを離れ、そのまま1812年にドイツに客死すると、ヴィオラ奏者のジョン・アルヴィス・モラルトと再婚し、パディントンに暮らして夫妻で音楽教室を営んだ。