スティグ・ヴィカンデル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スティグ・ヴィカンデル(Stig Wikander)は、スウェーデンのイラン語学者。1908年ノルテルジュ生まれ。ウプサラ大学でイラン学者のエンリコ・サムエリ・ニーベリに師事したのち、オットー・へフラーの『ゲルマン人の秘密結社』に影響を受けて、最も代表的な著作『アーリヤ人の男性結社』を発表する。また当時定説化していたフランツ・キュモンのミトラス教研究を初めて全面的に論駁し(1950年)、研究動向に衝撃を与えた。ヴィカンデルはまず第一に傑出したイラン学者であるが、『マハーバーラタ』などインド・イランの叙事詩に関するいくつかの重要な論文のために、現在ジョルジュ・デュメジルと並んで比較神話学の代表的な研究者とみなされている。またミルチャ・エリアーデと交流があったことも知られている。1983年、ウプサラで死去。
[編集] 略歴
- 1925年、ウプサラ大学に進み、エンリコ・サムエリ・ニーベリに師事する。
- 1930年、1931~1932年の2度にわたってフランス、パリに遊学する。(当時のウプサラ大学には講師としてジョルジュ・デュメジルがいたが、このときすでに両者に面識があったかどうかは不明)。
- 1932年~1937年、ゲオ・ヴィデングレンとともにニーベリの自宅で開かれた研究会に参加し、ニーベリの研究に尽力するかたわら、自らの研究を進める。また研究のためにベルリンやコペンハーゲンをしばしば訪れている。
- 1938年、博士号論文「アーリヤ人の男性結社」を提出。
- 1939年、ルンドから同論文が『アーリア人の男性結社』として出版される。
- 1941年、イランの風神ワユに関する著作『ワユ ―インド・イラン宗教史に関わるテキストと研究』を出版。
- 1942年、論文「アナーヒター女神とゾロアスター教の拝火儀礼」を発表。
- 1946年、『小アジアとイランの火の祭官』を出版。
- 1947年、デュメジルの三機能イデオロギーを取り入れた有名な論文「パーンダヴァ伝説と『マハーバーラタ』の神話構成」を発表。翌年、デュメジルはこれを高く評価し、自らの著作の中で紹介する(『ユピテル・マルス・クイリヌス』Ⅳ)。
- 1950年、『ミトラスの秘儀をめぐる研究』を出版、キュモン批判を行う。