シモーヌ・ヴェイユ
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シモーヌ・ヴェイユ(Simone Weil, 1909年2月3日 パリ、フランス - 1943年8月24日 ロンドン、イギリス)は、フランスの哲学者である。父はユダヤ系の医師で、数学者のアンドレ・ヴェイユは兄。
リセ時代、哲学者アランの教えを受け、若くしてパリの女子高等師範学校に入学、哲学のアグレガシオン(1級教員資格)を優秀な成績で取得する。卒業後、1931年にはリセの教員となるが、その間、労働階級の境遇を分かち合おうと工場や農場で働き、まもなく政治活動に身を投じた。1936年、スペイン内戦に際して、人民戦線派義勇兵に志願。1942年にはアメリカに移住し、その後、ロンドンに移り、ド・ゴールの自由フランス軍にレジスタンスとして参加した。戦争の悲惨さ、残酷さに抗議してハンストを行い、1943年、34歳でその生涯を閉じる。主著は『重力と恩寵』などで、著書はすべて死後出版されたものである。
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[編集] 思想
[編集] 美の必然性
ヴェイユは美を重視し、それは神や真理へ至るためのほとんど唯一の道であるとしている。したがって彼女の美に対する洞察はその思想の核心に近づいたものといえる。美を愛することは魂の自然な本性に備わっているから、だれでも美には惹きつけられる。もちろん、何を美しいと思い、愛するかには個人差がある。金を愛する守銭奴もいれば、権力を愛するものもいる。ヴェイユは享楽への愛を否定する。贅沢は高慢であり、己を高めようとすることである。彼女の言う美や愛とはそのような対象への支配と逆の、自己否定である。真に美しいものとはそれがそのままであってほしいものである。 それに何かを付け加えたり減らしたいとは思わない完全性、それが「なぜ」そのようにあるのかという説明を要せず、それがそのままで目的としてあるもの。「美は常に約束するけれど、決して何ものをも与えようとはしない。」という彼女の言葉はそのことを表している。美は何かの手段とならず、それ自身しか与えない。
人は美に面したとき、それを眺め、それ自身の内なる必然性を愛する。そして必然性を愛するということは、対象への自己の支配力を否定することである。自己を拡張しようという欲求は対象を食べてみずからの内に取り込もうとするが、美は距離を置いて見つめる対象でしかない。それを変化させたり所有することは汚すことである。美の前で人は飢えながらも隔たりをもってそれを見つめ、そのままで存在してほしいと願う。
[編集] 不幸
ヴェイユは美のほかに不幸が真理に至る道になるという。説明不能でありながら魂に染み込んでくる実在的なものという点で美と不幸は共通する性質を持つ。ただし不幸は美のように、人にとって自然な道ではない。自己を強大化し、他人を支配するための力を求めるのが魂にとっては自然なのである。ヴェイユはそのような力の崇拝を嫌悪していた。弱者に対して野蛮に振る舞う人の本性を彼女は洞察している。弱者は強者の前で意志の自由を失い、服従するだけの物質と化してしまう。人が力に屈服し、人格を失ってしまった状態。それが不幸と呼ばれる。不幸はまったく理不尽に人に食い込んでくる。ヴェイユは工場のなかで魂のない奴隷へと下落したたくさんの人間を見、自らもそれを体験した。真の不幸は苦しんでいる当人すら自分の苦しみのありさまを理解できないほどに思考力を奪う。そのように不幸な人は、人格としては存在すらしていないのである。
隣人愛は不幸な人の存在していない人格を存在させる。それは自らは飢えて相手を満たそうとする。その人の人格を愛するというのではなく、ただ、その人自身であるということによってのみ愛するのだ。強いから、美しいから、善いから愛するのではなく、また、愛すべきものを自己に取り込もうとするのではなく、真の愛は不在として絶対の対象を求める。
存在していないものへの気遣い、それは注意力によって可能となる。ヴェイユの注意は隔たりをもったはるか遠くの弱きもの、小さきものに注がれる。注意力はヴェイユの思想の中で大きな位置を占めている。彼女は神への注意を祈りと呼び、真の宗教は極度の注意力を必要とするとしている。注意とは思考を停止させ、無欲で純粋な待機状態になることである。それは努力と忍耐を尽くさねば為しえないが、何かを得るための努力ではなく、むしろ徹底した待望なのである。人は努力したのに報いが得られないということに耐えられず、真実を歪めてでも報いを求めてしまう。ヴェイユの注意とは報いではなく真実を求めるものであり、いかに悲惨なことでもそのままに見つめることだ。この時の純粋さとは汚れを避けることではなく、汚れを見つめうる純粋さだ。それは真理を報いとして求めるものでもない。それは生命よりも真理を愛し、自分の不完全さを徹底して理解することを欲する。
いかに激しい苦痛のなかでも正しい方向へと向かう力、愛する力を失わないよう願うことはできる。ヴェイユとて苦しみを好んでいたわけではなく、喜んで不幸を受け取れとは言わない。そのようなことを言うのは、人々の不幸を見過ごしにすることだ。喜びは喜びとして、不幸は純粋に不幸として受け取らなくてはならない。しかし純粋な不幸を愛をもって受け入れるという奇跡をなしえたとき、不幸は神に触れる啓示になりうるというのである。
[編集] 真空
自然なあり方として人は自己を増大させようとする。自らをすり減らすというのは自然なことではなく、超自然的なことである。自己無化に貫かれるヴェイユの思索は根底で神と結びつく。ヴェイユが残したノートを彼女の友人のティボン神父が編集した本『重力と恩寵』の冒頭にはこうある。
- 魂の自然な動きはすべて、物質における重力の法則と類似の法則に支配されている。恩寵だけが、そこから除外される。
この世はひたすら下落へと向かう重力に支配されており、それから免れようにも重力に支配された魂は誤りを犯す。だから自分から高まろうとするのではなく、待望こそ必要とされるのである。すべてをもぎ取られた真空としての待望である。そして真空とは自然なことではない。ヴェイユによれば下落から逃れて高みに昇るのは恩寵によってのみ可能であるが、重力の下降運動、恩寵の上昇運動とともに恩寵の二乗としての下降運動があり、これは重力と無関係に自ら下降する。
ヴェイユは自己否定としての神を語る。キリストの受難もそのように捉えられている。神から最も離れており、神に立ち戻るのは絶対に不可能なほどの地点にある人のもとに、神が人としてやってきて十字架にかかったということは神の自己否定であるという。
ヴェイユによれば世界の創造も自己否定である。神は世界創造以前にはすべてであり、完全であった。しかし神は創造によって自分以外のものが世界に存在することに同意し、自ら退いたのである。神と神以外のものの総計は、神だけが存在する状態よりも小さい。創造とは拡大ではなく収縮である。神の代わりに世界を支配するようになった原理は、人格の自律性、物質の必然性である。神の自己否定によって存在を与えられた我々は神の模倣、つまり自己否定によって神に応えることができるという。そして応答としての自己否定とは具体的には隣人愛と世界の美への愛なのである。この愛とは、神がそのように創造した世界を受け入れることと言ってもよい。つまりそれ自身のために、自己の支配力を否定することである。
世界が善だから愛するというのではなく、悪をみつめ、悪を憎悪しつつも善と悪を造った神と、神が創ったこの世界を愛することを説く。ヴェイユは偽りの慰めを退け、想像上の神を信じる者より神を否定する者の方が神に近いという。全く神が欠けているということでこの世界は神そのものであり、この奥義に触れることで人ははじめて安らぐことができると、ヴェイユはノートに書き残している。
[編集] カトリック教会との関係
カトリック教会の聖人であるアッシジのフランチェスコに深い共感を寄せ、フランチェスコに縁のある聖堂での宗教体験を書き遺している。友人であったティボン神父との関わりの中で、カトリックの神学や信仰の在り方について様々な考察を遺している(シモーヌ・ヴェーユ著作集第四巻、春秋社)。自らを「教会の門の前で人々を呼び集める鐘」と評したが、洗礼には至らなかった。
[編集] 参考文献
- 『重力と恩寵』シモーヌ・ヴェイユ 田辺保訳(ちくま文庫)
- 『ヴェーユ』富原真弓 (清水書院)
- 『甦えるヴェイユ』吉本隆明 (JICC出版)
- 『シモーヌ・ヴェイユ ひかりを手に入れた女性』ガブリエッラ・フィオーリ 福井美津子訳 (平凡社)
- 「シモーヌ・ヴェイユ」香川檀 『20世紀の千人4 多様化する知の探求者』朝日新聞社
- 「シモーヌ・ヴェイユ」柴田美々子 『西洋美学のエッセンス』今道友信編 (ぺりかん社)