コリマ川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
コリマ川 | |
---|---|
朝霧の中のデビンの町、2004年9月 |
|
水系 | |
種別 | |
延長 | 2,129 km |
水源の標高 | -- m |
平均流量 | 3,800(河口付近) m³/s |
流域面積 | 644,000 km² |
水源 | コリマ丘陵 |
河口(合流先) | 東シベリア海 |
流域 | ロシア |
コリマ川(コルィマ川、Kolyma、ロシア語: Колыма́)はロシアのシベリア北東部を流れる大河。マガダン州からサハ共和国、チュクチ自治管区を流れる。水源はオホーツク海の港町マガダンのすぐ北にある山地で、北極海の一部である東シベリア海へと注ぐ。長さは2,129km、流域面積は644,000平方km。山地を出た後は無数の湖沼のある湿地帯・コリマ低地を蛇行し、途中でオモロン川などの大きな支流をあわせる。年に250日は、水面下数メートルまで凍結する。凍結していない時期は6月初めから10月までの間だけである。
流域のコリマ(コルィマ)地方は永久凍土とツンドラに覆われ、冬の気温は-19度から-38度、夏の気温は3度から16度と低温である。しかし金、銀、銅、プラチナ、タングステン、石炭、石油など天然資源は非常に豊富なことで知られる。主な町は上流のマガダン州にあるデビン、河口付近の港チェルスキーのほか、中流のスレドネコリムスクの町がコリマ川地方の古くからの中心地。
流域にはチュクチ人、ユカギール人、エヴェン人などの先住民が住むが、早い時期にロシア人の毛皮商人が入り、ロシア帝国に併合された。その下流の姿は長年謎だったが、1820年にはフェルディナント・フォン・ウランゲルにより流域が調査され、下流はアメリカ大陸や未知の島などの陸地ではなくすべて海であることが明らかになった。また1892年からエドゥアルド・トーリ(Baron Eduard Von Toll)がロシア科学アカデミーの依頼でコリマ川など極東の河川の流域調査に出発し、1年余りで流域の広い範囲の地理を調査した。
ヨシフ・スターリンの時代、1932年から1954年にかけてコリマ地方には多数のグラグ(強制労働収容所)が建設され、政治犯が沿海州からマガダンまでの海路を経てこの流域に送り込まれ、金鉱、砂金採掘、道路建設、材木伐採などの重労働に従事させられた。特にマガダンからコリマ川上流を経てヤクーツクに向かう「コリマ街道」沿道の収容所群で多数の人々が命を落とした。この体験はヴァルラーム・シャラーモフの『コルィマ物語』などに描かれている。