キリル・コンドラシン
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キリル・ペトローヴィチ・コンドラシン(Кирилл Петрович Кондрашин, 1914年3月6日 - 1981年3月7日)は、ソビエト出身の指揮者。緊張感が高く、独特の推進力と爆発力を感じさせる指揮で知られる。
モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団在任中、ショスタコーヴィチの交響曲の初演に携わった。交響曲第4番、交響曲第13番「バビ・ヤール」は、彼の指揮により初演された。モスクワ・フィルを指揮して、世界で初めてショスタコーヴィチの交響曲全集を録音した。
[編集] 略歴
- 1914年、モスクワ生まれ。
- 1943年、ボリショイ劇場の常任指揮者となり、1956年まで在任。
- 1960年、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督となり、1976年までそのポストにあった。
- 1967年、モスクワ・フィルと来日。
- 1978年、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団に客演中のアムステルダムにおいて、オランダへの亡命を表明。同楽団にて、永久客演指揮者(Permanent Guest Conductor)に就任する。
- 1980年、再来日してNHK交響楽団を指揮。
- 1981年、心臓発作のためアムステルダムにて死去。この日、コンドラシンは、アムステルダム公演中の北ドイツ放送交響楽団の演奏会において、クラウス・テンシュテットの代役として急遽リハーサルなしでマーラーの交響曲第1番「巨人」を演奏して成功をおさめた後、戻ったホテルで心臓発作を起こして息を引き取った。遺体は翌朝ホテルのメイドによって発見された。この突然の死から、KGBによる謀殺説がささやかれたが、当時のKGBは暗殺の際は偽装自殺を用いていた為、KGBの関与の可能性は低いとされている。この時、コンドラシンは1982年からラファエル・クーベリックの後任として、バイエルン放送交響楽団の首席指揮者になることが内定していたが、実現することはなかった。
[編集] 録音
ソビエト時代、国営のメロディア(Melodiya)レーベルには、ショスタコーヴィチの交響曲全集以外に、モスクワ・フィルとのブラームス、マーラー、ハチャトゥリアンなどの交響曲録音がある。
西側への亡命後、死去までの3年間には、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団やウィーン・フィルハーモニー管弦楽団などとのライヴ録音が残されている。とくに、リムスキー=コルサコフの交響組曲『シェヘラザード』の録音が知られる。
また、結果的に最後の演奏会となった北ドイツ放送交響楽団とのマーラーは、レコード時代に北ドイツ放送交響楽団の自主制作盤として極少数が発売され、それを元にした海賊盤がCDとして出回っていたが、2004年にEMIが"Emi Ndr Archive"というシリーズで、正規の放送用テープを元にしたCD(カタログNo:5628562)を発売した(2008年4月現在、いずれも廃盤となっている)。