ウラジミール・ジャンケレヴィッチ
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ウラジミール・ジャンケレヴィッチ(Vladimir Jankélévitch、1903年8月31日 - 1985年4月10日)は、フランスの哲学者。
独自の道徳哲学を展開した。思想的にはプラトン、アリストテレス、新プラトン主義をはじめとする古代哲学を深く修めるとともに、ショーペンハウアー、ジンメル、ベルクソンらの「生の哲学」の流れを汲んでおり、その中でも特にベルクソンの哲学からは強い影響を受けている。また、音楽美学者としても非常に優れ、特にドビュッシー論やラヴェル論は有名である。
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[編集] 生涯
ユダヤ系ロシア人の子としてフランスのブールジュに生まれる。パリの高等師範学校を卒業後、1926年にはアグレガシオン(1級教員資格)に首席で合格。1927年から1932年までプラハのフランス学院に勤務。1931年にベルクソン論を出版、ベルクソン本人からも激賞される。1933年に学位論文『シェリング後期哲学における意識のオデュッセー』を提出。その後各地で教職につくが、第二次大戦が起こり軍に召集され、負傷。だが負傷中にヴィシー政権の対ユダヤ人政策よって除隊、さらに教職剥奪という事態に遭遇し、レジスタンス運動に身を投ずることとなる。
終戦後、ラジオ音楽放送の顧問を務めた後、教職復帰。1949年に『徳論』を出版。1951年よりパリ大学道徳哲学教授を務めた。1978年の定年後も、なお3年間名誉教授として講義を続ける。その倫理学に関する講義は市民に開放されるとともにラジオにより公共に放送された。
ジャンケレヴィッチは、その誠実さから、1968年の五月革命でも学生から信頼を得ていた数少ない知識人であった。ハイデッガーに対しては「血と汚辱の体制に向けて哲学教授が批判という職務を敢行しなかった」ことに深い嫌悪感を表明し、サルトルに対しては「アンガジュマンは、戦中の非行動に対する一種の病的な補償、悔恨」に過ぎないとし、フランス現代思想家に対しては「ハイデガーを読み、その言葉をドイツ語で引用するソルボンヌの猿たち」と侮蔑した[1] 。
1982年にはイスラエル軍のベイルート侵攻に反対するイスラエル大使館への抗議デモに参加し、フランスユダヤ人社会からの非難にさらされた。
1985年、パリの自宅にて死去。
[編集] 思想
体系化・分類化を拒絶した繊細な道徳論を展開。その著作の文体は詩的にして流麗。また音楽論を展開。「生きた、愛した、存在した」の哲学者。
サルトルやレヴィナスとはほぼ同世代に属するが、いわゆるフランス現代思想の流れからは距離を置いた位置にいたといえる。「道徳」「倫理」「死」「音楽」といったテーマにおいて「語りえぬもの」「何だかよく分からないもの("je-ne-sais-quoi")」をめぐって、哲学の概念のみならず古今の文学や音楽までも幅広く用いつつ、体系にとらわれることなく自在でしなやかな思索を展開しつづける彼のスタイルは極めて独自のものであり、それゆえに「分類できない哲学者」("Philosophe inclassable")とも呼ばれた。
[編集] 主要著作
- 1931, Bergson
- 阿部一智・桑田禮彰訳『アンリ・ベルクソン』(新評論、1997年(増補新版))
- 1949, Traite des vertus (1968、1970、1972年にそれぞれ第一部、第二部、第三部が全面的に改訂、大幅増補され、三分冊再版)
- 仲澤紀雄訳『徳についてⅠ 意向の真剣さ』(国文社、2006年)
- 仲澤紀雄訳『徳についてⅡ 徳と愛1』(国文社、2007年)
- 『徳についてⅡ 徳と愛2』
- 『徳についてⅢ 無心と性悪さ』
- 1954, Philosophie premiere
- 『第一哲学』
- 1956, Ravel
- 福田達夫訳『ラヴェル』(白水社、2002年(新装版))
- 1957, Le Je-ne-sais-quoi et le Presque-rien
- 『なんだかわからないものとほとんど無』
- 1961, La musique et l'ineffable, Éditions Armand Colin.
- 仲沢紀雄訳『音楽と筆舌に尽くせないもの』(国文社、1995年)
- 1964, L'Ironie, Flammarion.
- 久米博訳『イロニーの精神』(紀伊国屋書店、1975年;筑摩書房、1997年)
- 1966, La Mort
- 仲沢紀雄訳『死』(みすず書房、1997年(復刊))
- 1968, La vie et la mort dans la musique de Dubussy
- 1974, Faure et l'inexprimable
- 1974, L'irreversible et la nostalgie
- 仲澤紀雄訳『還らぬ時と郷愁』(国文社、1994年)
- 1978, Queloque part dans l'inacheve
- 仲沢紀雄訳『仕事と日々・夢想と夜々――哲学的対話』(みすず書房、1982年)
- 1981, Le paradoxe de la morale
- 仲沢紀雄訳『道徳の逆説』(みすず書房、1986年)
- 1983, La presence lointaine, Albeniz, Severac, Mompou
- 近藤秀樹訳『遥かなる現前――アルベニス、セヴラック、モンポウ』(春秋社、2002年)
- 1984, Le Nocturne
- 千葉文夫・松浪未知世・川竹英克訳『夜の音楽――ショパン・フォーレ・サティ、ロマン派から現代へ』(シンフォニア、1986年)
- 1984, Lizt et la rhapsodie, essai sur la virtuosite, Plon.
- 伊藤制子訳『リスト――ヴィルトゥオーゾの冒険』(春秋社、2001年)
- 1994, Premieres et dernieres pages
- 合田正人訳『最初と最後のページ』(みすず書房、1996年)
- 1994, Penser la mort?
- 原章二訳『死とはなにか』(青弓社、2003年)
[編集] 関連文献
- ステファン・ヤロチニスキ(ヤロチンスキ)『ドビュッシィ 印象主義と象徴主義』(音楽之友社、日本語訳の底本はフランス語訳版)
- 序文をジャンケレヴィッチが執筆。
- 「ジャンケレヴィッチ特集」『へるめす』1994年52号(岩波書店)
- 「死―取り消しえないこと ダニエル・ディネとの対話」「愛―唯一の徳」「女―近くて遠い者」「音楽―モンポウのメッセージ」「遺稿 時 / 創造・制作・生涯」というジャンケレヴィッチの文章の翻訳と3本の論考が収録。
- トロティニョン『現代フランスの哲学』(白水社[文庫クセジュ]、1969年(原著1967))
- ジャンケレヴィッチについての著述が6ページある。
- 合田正人『ジャンケレヴィッチ――境界のラプソディー』(みすず書房、2003年)
- 原章二「ジャンケレヴィッチの思い出」同人誌『散』
- 原章二はジャンケレヴィッチに師事していた。
- 『ユリイカ ドビュッシー特集』
- 千葉文夫がジャンケレヴィッチに言及。
[編集] 脚注
- ^ 小泉義之「合田正人『ジャンケレヴィッチ――境界のラプソディー』」『週刊読書人』第2510号(2003年10月31日)。
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