イエン・シリト
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イエン・シリト(Ieng Thirith、1922年 - )は、クメール・ルージュの指導者の一員であると同時に、イエン・サリの妻。実姉は、キュー・ポナリー(ポル・ポトの初代妻)。
他のクメール・ルージュの指導者の多くと同じく、名家・高学歴・元教員である。 姉妹の父は、プノンペンの裁判官であり、シアヌーク国王の祖父母の家族と親しく、シアヌークも子供時代の彼女たちをよく知っていたという。のちに、姉妹の父は、王女の一人と出奔。
姉妹とも、名門シンワット高校で学ぶ。姉は、のちに母校の国文学の教員。イエン・シリトは、クメール英語高校設立・校長、パリ留学経験もありシェークスピア専攻。なお、シンワット高校は夫、イエン・サリをはじめキュー・サムファンやドッチなどの母校でもある。
クメール・ルージュ時代(1975-1979)の政権幹部として、当政権による大量虐殺に責任を負う。 2007年11月12日、夫イエンサリと共にプノンペン南部の自宅で逮捕。 クメール・ルージュ特別法廷において刑事責任が問われる予定。