アクスム
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アクスム |
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アクスムの屹立するステッレ | |
(英名) | Aksum |
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(仏名) | Axoum |
登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | 文化遺産(1), (4) |
登録年 | 1980年 |
拡張年 | |
備考 | |
公式サイト | ユネスコ本部(英語) |
地図 | |
アクスムは、エチオピア北部の街。アドワ山地の麓に近いティグレー地方メハケレグナウ圏 (Mehakelegnaw Zone) にある。
かつてのアクスム王国の中心地である。この王国は、イエス誕生の頃に勃興し、在りし日のペルシャ帝国に対抗するビザンティウムの半同盟国として、海上貿易で栄えたキリスト教国であった。しかし、この王国は7世紀に没落した。理由は不明だが、イスラームの勃興により、沿岸部の航海しかできないでいた貿易船の航行が妨害され、アレクサンドリアやビザンティンなどの主要市場との関係が絶たれたことが衰退につながったと推測されている。王国の衰退とともにアスクムの都市も衰退した。この結果、エチオピア帝国の中心地は内陸部にシフトした[1]。
エチオピア中央統計局による2005年のデータでは、アクスムの人口は47320人(男性20774人、女性21898人)である[2]。その75%がエチオピア正教徒で、残りはスンニ派のムスリムや非正教系のキリスト教徒である。
アクスムには、アクスム空港がある。
その歴史的価値から、考古遺跡群がユネスコの世界遺産に登録されている。
目次 |
[編集] 歴史
アクスム王国はゲーズ語 (Ge'ez) と呼ばれる独自の文字言語を持っており、古いものは紀元前5000年から前2000年まで遡る巨大なオベリスクに代表される独自の建築様式を発達させていた[3]。この王国はエザナ王の時に最盛期を迎えた。公式にキリスト教に改宗したのもこの時期で、エザナ王もアブレハという洗礼名を持つ[4]。
エチオピア正教会は、シオンのマリア教会 (Church of Our Lady Mary of Zion)にモーセの十戒を刻んだ石版を納めた契約の聖櫃があると主張している。この教会では、数世紀に渡りファシリデス帝の治世までの代々のエチオピア皇帝が礼拝し、中断の後、ヨハンネス4世から帝政の終焉まで再び歴代皇帝が礼拝していた。アクスムはエチオピア最高の聖地であり、重要な巡礼地なのである[5]。
1月7日には重要な祭事であるティムケット祭(T'imk'et Festival, 西洋世界でいう公現祭)が行われ、11月下旬にはマリヤム・シオン祭が行われる。
1937年に1700年前のオベリスク(全長24m)をイタリア軍が三分割し、ローマに持ち帰った。このオベリスクがアクスム王国最盛期の技術の最良の例証の一つであることは衆目の一致するところであり、1947年に国連はオベリスクがエチオピアに返還されるべきであると決議した。しかし、イタリアは承諾せず、両国政府の長い外交交渉の末に、2005年に返還された。
[編集] 遺跡
[編集] ステッレ
アクスムの遺跡の中で特徴的なのは、ステッレと呼ばれるオベリスクである。立っているもので最高のものは全高24mのエザナ王のステッレである。ステッレが集中する北ステッレ公園には横たえられた33mのステッレもあるが、これは建築中に倒れたと考えられている。それらは墓標だったようであり、鋳造された金属板を側面に貼り、窓などを思わせる建築上の彫刻が施されている。
[編集] 他の史跡
- シオンのマリア教会 - これは1665年建造であり、既に触れたように契約の聖櫃を納めていると主張している。
- 建築や民族誌に関する博物館
- エザナストーン(Ezana Stone) - これは、ロゼッタストーンのようにサベ語、ゲーズ語、古代ギリシャ語が併記されている。
- バゼン王の墓 - この街の最古の建造物の一つと見なされているメガリス
- シバの女王の浴槽 - 現在は貯水槽になっている遺跡。地元の伝説では、彼女はアクスムに住んでいたことになっている。
- タアカ・マリヤム宮殿(4世紀)とデュングル宮殿(6世紀)
- アッバ・ペンタレオン修道院とアッバ・リカノス修道院
[編集] 世界遺産
[編集] 登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
- (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
[編集] 姉妹都市
[編集] 注
- ^ G. Mokhtar, UNESCO General History of Africa, Vol. II, Abridged Edition (Berkeley: University of California Press, 1990), pp. 215-35. ISBN 0-85255-092-8.
- ^ CSA 2005 National Statistics, Table B.4
- ^ Herausgegeben von Uhlig, Siegbert, Encyclopaedia Aethiopica: D-Ha (Wiesbaden: Harrassowitz Verlag, 2005), p. 871.
- ^ J. D. Fage, A History of Africa (London: Routledge, 2001)". pp. 53-54. ISBN 0-415-25248-2.
- ^ Hodd, Mike, Footprint East Africa Handbook (New York: Footprint Travel Guides, 2002), p. 859. ISBN 1-900949-65-2.
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